HKT48の元メンバーで、現在は俳優として活躍する兒玉遥。9月29日、10月6日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)では、過剰な反省で自分を追い詰めていたアイドル時代の“しくじり”を赤裸々に告白した。WEBザテレビジョンでは、うつを患い、活動休止した彼女が再び芸能界で笑顔を見せるまでの道のりを振り返ってもらった。
■アイドル時代は「お守りのような経験」
――「しくじり先生 俺みたいになるな!!」への出演が反響を呼んでいます。うつだった過去を告白するなど、思い切った内容でしたね。
結構攻めていました。打ち合わせは何度かしたんですが、実際にキャストの方を前に授業をすると、緊張で滝のような汗が出ました。
――過去ことを話そうと思ったのは、何か理由があるんですか?
過去のことを掘り下げて話したいという思いが特別あったわけではないんですが、プロが関わってくださった上でバラエティーで楽しく世の中に発信できるなら、なかなかない良い機会かなと。自分の言葉でただ伝えるより、エンタメとして面白く伝わるならいいかなと思いました。
――改めて伺いますが、兒玉さんにとってアイドル時代はどういった期間でしたか?
お守りのような経験です。(HKT48自体が)他のグループよりもデビューが遅れて不安な時期もあったけど、メンバーのみんなで乗り越えて、目標を達成できる喜びを経験できました。
ただ、私は若かったせいかストレスと向き合うことが上手にできなくて、心と体調を崩してしまいました。一度弱ってしまったけれど、今はまたこうして活動できています。あの時よりつらいことは起きないと思うので、「あの時を乗り越えられたから、これからも大丈夫」というお守りなんです。「これからは大丈夫だよ」と、自分を強くさせてくれるような思い出です。
■劣等感が強く、他のメンバーとの実力差が見えてしまい悔しかった
――加入した当初についても聞かせてください。
当時は劣等感が強くて、他のメンバーと自分との実力の差が目に見えてしまって悔しかったです。ただ、劣等感があったから頑張れたところもあります。常に自信がないところからのスタートだったので、穴を埋めるためにずっと頑張っていたんです。
でも、今考えるとなぜあんなに自分を追い詰めていたんだろうとも思います。もっと目の前にあることを楽しんでも良かったんですよね。
――選抜入りやセンターなど、アイドルとして輝かしい瞬間もたくさんあったと思いますが、そういう時にもネガティブな考えになってしまうのでしょうか?
うれしかったんですが、すぐに「もっと頑張ろう」と考えるんです。理想の先輩たちに近付けるように走り続けていましたが、登った先の景色に「なんか違う」と感じてしまいました。ここまで来たら満たされると思っていたのに、全然満たされない、みたいな。
――それは、いつ頃のことですか?
AKB48の選抜総選挙で9位になった時(2016年)です。念願の選抜入りですごくうれしかったし、ファンのみんなへの感謝の気持ちで溢れていたんですが、「もっと頑張んなきゃ」と、より自分を追い詰めてしまっていました。みんなが認めてくれているのに、自分だけはずっと自己肯定感が低くて、階段をずっと登っているような感覚だったんです。登っていけば、自分が求めていた景色が見えると思っていたんですよね。
今は、理想を追い求めた先に幸せがあるのではなく、頑張る過程で起きた小さなことでも味わいながら楽しむのが一番幸せなんだなと思います。
■「NHK紅白歌合戦」勘違い事件が活動休止への“最後のとどめ”に
――「しくじり先生 俺みたいになるな!!」では、「AKB48 夢の紅白選抜」での“勘違い事件”についても振り返っていました。
(2016年の「NHK紅白歌合戦」で出演メンバーを視聴者投票で決定。「君はメロディー」歌唱メンバー16人を16位から発表する中で、最後の二人となった時に山本彩、指原莉乃とともに兒玉もステージ中央に移動したが、結果は29位だった)
自分にとっては重たい出来事で、当時は笑い飛ばせませんでした。ネットでいろいろと書かれているのも知っていましたし、「なんでこんなにたたかれなきゃいけないんだろう?」と思っていました。面白がっているだけなんだとは思いますが、こっちは本気なので。精神的な負担が大きい出来事でした。
――その後、体調不良による活動休止がありました。紅白選抜がそのきっかけとなってしまったのでしょうか?
きっかけの一つでしたね。それ以前から自分の中では異変があって、“最後のとどめ”になってしまいました。
■活動休止中は情報をシャットアウトした生活
――振り返るのもつらい時期だとは思いますが、当時はどんな心境だったのか聞かせていただけますか?
うつの症状はあったんですが、その時点ではまだ自分がうつ病だということには気付いていなかったんです。何かおかしいけど、仕事は毎日あって、仕事を休むという選択肢がないから行くしかない、みたいな。うつだということが分かってからは楽になりました。病気だったんだ、自分もかかるんだな、と。
――それからどのように心身を持ち直していったんですか?
仕事を休ませていただいて、ぼーっとしていました。ベッドに寝て天井だけを見て、一日が終わっていくような日々を長く過ごしていました。スマホもSNSも見ず、情報をシャットアウトした生活を数カ月続けていたら自然と元気になってきて「運転免許を取ろう」と思ったんです。
それで宮崎のおばあちゃんの家から教習所に通うんですが、仕事もないので毎日行けるじゃないですか。そうしたら二週間くらいで免許を取れたんですよ。当時は歌も歌えなくなっていてダンスも覚えられなかったので、ちょっとしたことではあるけど、運転免許を取れたことが「私、できるじゃん」と自信になったんです。
――芸能界への復帰はどのタイミングだったのでしょうか?
2年くらい休んでいたんですが、2年も働いていないと自然と「仕事しなきゃ」と思うんです。最初は、またうつになるのも怖かったし、芸能界にはもう戻らないと思っていたんですが、「小さい頃から好きだったことってなんだろう」と改めてルーツをたどると、やっぱり私は人前に出ることが好きだったんです。それで、もう一度やってみようと思いました。
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